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すべてはここから(13)そこには何があるんだろう

2020.05.05 すべてはここから

葬儀のお世話をさせていただくなかで、宗教者との関わりは不可欠だ。

宗教宗派によって本当にみなさん考え方が違う。

よく聞く仏教の葬儀は、基本、仏の弟子にするという儀式を行う。

神道の葬儀は、魂が帰り、守護霊として祭る。

キリスト教の葬儀は、みんなで復活を願う。

天理教などは、魂の出直しというところか。

それぞれその中でも宗派があり、考え方が違っているのでまた細かく分かれていく。

宗教を学ぶことは本当に楽しい。

開祖のどのような考え方に引かれてみんなが信者になり、集まるのか。

どのような力がそこにあるのか。

私はすごく興味があった。

聞いたことがない宗教の看板がかかってあると、「おじゃまいたしまーす。」と尋ねた。

一度お伺いしたところは、「どのような御用でしょうか?」と言われ、

スーツの男性5・6人に囲まれた。

おもしろい。

あるところは、「あなた、体のどこが痛いですか?この椅子に座ってください。」

と言われ、1時間程度パワーを送られた。

「手が上がるようになったでしょう?」

「そう言われてみれば・・・」ここは病院か。

突っ込みそうになる。

別のところは、神道の祭壇の横に仏像を飾ってあり、

「こちらは仏教なんですか?」尋ねた。

「どちらもです。」そうですか。

なんでもありである。

大きな宗教団体に話を聞きに行くと、必ず勧誘された。

考え方を説いてもらい共感するから信者になるのだが、

誘われたから入ってしまうとそれはサークルである。

仕事が休みのときは、お寺や神社を見学に行ったり、霊園を見学に行ったりもした。

ちょっと異常である。

共感できない人が、話を聞いてもなんのことかわからない。

しかし、一度共感した人は、一生をかけてそれを信じていくし、人生を捧げる人もいる。

それが宗教。

人は、何かを信じたいのか、集まりたいのか、属したいのか、拠り所にしたいのか。

癒されたいのか、慰められたいのか、わかってもらいたいのか。

どれもである。

そこにはなにがあるのだろうか。

私は仏教の信者である家に生まれた。

だからといって生まれたときから仏教の信者というわけではない。

だが、なんとなく体に浸み込んでいる。

だからと言うわけではないが、出家した。

頭を丸めお坊さんになった。

葬儀のお世話をさせていただくお坊さんである。

新たな日々の始まりだった。

【14へ続く】

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