2020.04.24 すべてはここから
就職がようやく決まり、ほっとしていたが合同研修の日々が待っていた。
研修、研修、研修・・・。
ついこの間までの自分ならおそらく逃げ出していたのかもしれない。
しかし、その時の自分は逃げなかった。
強くなった。と言いたいが、本当のところはもう逃げる場所さえなかった。
研修が終わり、配属先への初出勤。待っていたのは、会員の契約を獲るノルマ地獄だった。
入社3カ月以内に30件の契約を獲らないとクビという恐ろしい現実・・・。
毎日の上司からの追及が始まった。
身内にまず契約に入ってもらえ、友達に契約に入ってもらえ、知人に入ってもらえ、友達の知人に入ってもらえ、家族の知人に入ってもらえ、入ってもらえ、入ってもらえ、入ってもらえ。
地獄だった。今思うと営業の世界では当たり前のことなのだがあの頃の私は毎日が地獄だった。
友達も私からの連絡を嫌がるようになっていったのがすぐにわかった。
仕事が休み明けは、休みの間に何件の方に話をしに行ったのか書き出さないといけなかった。
身内がもらっている年賀状の宛先全部に連絡しないといけなかった。
一日中ピンポーンと飛び込みで営業に回った。
同期のやつは、塩をかけられたと言っていた。
なんて日々だ・・・。思い出したくもない。
なんて日だ!なんて日だ!私の方がバイキングの小峠より随分早く言いまくっていた。先駆けである。
しかし、私はだんだんと麻痺してきた、こういうものなのか、私がおかしいのか、わからなくなった。
気づくと30件の契約が獲れていた。うれしくもなんともなかった。
自分の力で獲れたようには全く感じなかった。
心が死んでいたのだろう。
ノルマが終了した。今度は何が待っているのか。
上司に突然「みんなでじゃんけんしろ」と言われた。
えっなんで?思う暇もなくじゃんけんをした。
予想道理私が負けた。
次の日、その会社の会員の方を連れて会員旅行のバスガイドに行くこととなった。もちろんバスガイドなんてしたこともない。むちゃくちゃだった。
しかし、追い込まれるとなんとかなるものだ。
旅行から帰ってくるときにはバスの中で歌まで歌っていた。
「シルバーブルーシルバーブルー、あなたの街の~~」熱唱だった。
しかも会員から紹介をたくさんもらえ後日会員になってもらえた。
今は互助会は全国的にも解約が殺到し叩かれているがその頃は互助会にみんなこぞって入会していた。時代なのだろう。
次は何が待っているのか。何でも来い、そう思っていた。
しかし強がっていられたのはほんの一瞬だった。来ないでほしかった。
そう、この世の果てのような世界が待っていた。
営業所の所長にさせられたのだ。出世でも何でもない、生贄だった。
営業所には外務員という悪魔が待っていたのである。
この世の果ての世界を垣間見るようになったのはこのときからだ。
【3へ続く】